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VOL.21 AUGUST 2004

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[私の研究歴] 研究の旅のはじめに

教授
小松 紘

 朝の連続テレビドラマ『天花』を見ていましたら,「天職」という言葉がしばしば出てくるのに気づきました。この「天職」という言葉は,このドラマのキーワードの一つになっているのかもしれません。しかし,何がその人の「天職」になるのか,そう簡単にはっきりするものではないようにも思われます。卒業生に関して心配なのは,せっかく就職しても,あっさり辞めてしまうケースが少なくないようで,そのうちにこの「天職」という言葉は死語になるのではないかと考えさせられるところです。
 長く続けられること,その仕事に何らかの意義を見出せること,やりがいを感じること,その仕事に従事している自分に違和感がないことなどが,その人にとって少なくとも“向いている職業”といえましょう。しかし「天職」という場合には,何よりもその仕事が好きで,それによってその人なりに社会貢献ができることをも意味するのではないかと思います。おそらくその職をリタイアするとき,その職が自分にとって本当に「天職」であったかどうかがはっきりするものと思います。今年還暦を迎えて,なんとなく今の仕事が私にとって「天職」であるかもしれないという気になってきているところです。
 わが家の場合,父や兄姉たちの大半が教育関係の仕事についていたので,子どものころから漠然と,将来は教育か研究関連の仕事につくだろうくらいには思っていました。物事に熱中するタイプである一方で,人との競争が大嫌いな自分の性格を考えると,一般の企業ははじめから敬遠していましたし,医学のように人の命に関わりをもつことも,気楽なことの好きな私には荷が重すぎました。スポーツや芸術系は才能の点でそれを職業にする自信がありませんでした。結局のところ,姉に連れられて見に行った大学祭で,心理学関連の展示を見たり,さまざまなテストを受けたりして興味をかきたてられたことが,心理学に進むきっかけになったような気がします。
 卒論で取り組んだテーマは,ミュラー?リエルなどの錯視の原理に関する学説の一つである「場理論」,特に当時名古屋大学の横瀬善正教授の“ポテンシャル場”でありました。この理論を実証するために用いられた手法は,錯視図形の近傍に小光点を提示し,その光覚閾を測定することによって,図形の場を測定するものでありました。しかしこの方法には図形周辺の散乱光が測定光の背景となり,それがあたかも図形の場のごとく閾(いき)値を高めてしまうという欠点もあったのです。この欠点を,刺激図形と測定光点を別々の目に提示し,見かけの刺激布置において測定する,今でいうhaploscopic viewによって克服し,場の存在を明らかにすることができました。これが翌年英文の論文になり横瀬先生のお弟子さんたちから感謝されたことが,私にとって研究の道への強い動機づけになったように思われます。

 私のように基礎研究に進んだものにとって,最大の関心は心の働きのメカニズムを明らかにすることではないかと思います。少なくとも私の場合はそうでした。そのためにはその現象のメカニズムを明らかにすることのできる技法を徹底的に調べ,見つからなければ新しい測定手法を自ら開発することが必要となります。本学の卒業論文を指導していて,この先行研究を調べる努力がはなはだ足らないことにいつも不満を感じています。研究と名のつく以上,基礎でも応用でも分野に関係なく,先行研究を調べることに多くの時間をかける必要があります。このとき大切なのは,文献リストの作成と,自分の読んだ研究の内容のまとめを作っておくことです。私たちの場合は,今のようにデータベース作成のためのよいソフトがなかったので(いや,パソコン自体がありませんでした),丸善や生協で売っている文献カードを用いました。文献を読むたびにそのカードが1枚1枚増えていくのは楽しみなもので,また欧文の論文の場合,テクニカルタームの意味がだんだんわかってきて,読破するスピードが次第に速まってくるのは,間違いなく励みになるものです。
 卒論でとりあげたトピックスは,心の働きのほんの一点に過ぎないようなものですが,実はその背景にあるメカニズムは,ちょうど地下の水脈のようなもので,私たちの意識のさまざまな現象と根底において何らかのかかわりをもっていると考えたほうがよいと思われます。それはさらに研究が深まりかつその幅も広がってくるとわかるものです。前述した「ミュラー?リエルの錯視」を,「環境」に対する私たちのある特別な認識特性の一つとして説明することも可能なのです。
 全く違う現象と思って研究を進めているときに,以前得たデータと類似のメカニズムに起因することを知り,人間の心の謎を一部解き明かすことができて,震えるほどの感動を覚えたことがあります。ただしこの感動は,どのような事態においても手抜きをすることなく,基本に忠実に,やるべきことをしっかりやって初めて得られるものと,いまでも時々自分に言い聞かせています。

 人間を理解する仕方にはさまざまな方法がありますが,少なくとも科学的方法をとろうとすると,どうしても「人間」という対象にたいして,ある角度から特定の方法によってアプローチを試みざるを得ません。そこには当然その方法に固有の限界が存在するわけです。いくつかの接近方法の間で相互に情報となりえる何らかの知識を共有できれば,一つの接近法で理解していた人間像が,さらに拡大し深まることになります。研究者として大切な心がけは,自分の専門をおろそかにすることなく,他の研究者との共同研究を大事にすることだと思います。それによって,自分の知らなかった別の水脈に出会うこともできるわけです。
 今回は,心理学の専門領域に一歩足を踏み入れた方々を念頭に,浅学の身ながら,何かのお役に立つことができればと思いペンを執りました。私の大学院時代,さらにその後の経緯については,またチャンスをいただいたときにお話したいと思います。
 最後に,心理学を学ぶものにとって大切なことは,自分が学んだことを何らかの形で人生に活かすことにあると思います。そのためには,教えられたことだけで満足せず,自ら学び自分の世界を開拓する心がけが大切です。心理学は地球に最も影響を与える人間に関する学問です。その意味でこれからますます期待される実学でもあるといってよいでしょう。

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