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VOL.42 MARCH 2007

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[心理学概論] レポートを書こう(3単位め)

 40号?41号で,「心理学概論」の1?2単位め課題を題材にして,レポートを書く際の取り組み方の一例を示してみました。今号では,3単位め課題を題材にして,私がどこを勉強したか,何を考えたかを紹介できればと思います。

 3単位め課題は「知覚とは,刺激を受動的に感受することではなくて,人が情報を能動的に『つかみとる』働きであることを,具体的な事実をあげて,わかりやすく説明しなさい」です。

 この3単位めの課題,最初に読んだときはさっぱり何のことかわからなかったです。その場合は,とりあえず文章を繰り返し読むしかないですね。

↓

 「知覚とは」,見ること,聞くことなどのことですね。教科書?三訂版ではp.117に知覚の説明がちゃんと載っていますね。残念ながら改訂版のほうの知覚の説明は初心者にはわかりにくいもの(学問的には正確だろうけど)です。はじめて心理学を勉強する人には,「知覚」ということばが具体的に何をさしているのか教科書にわかりやすい説明がほしいところです。
 次「刺激を受動的に感受することではなくて」。これも外から来る「刺激」(S)を人間が受け止めて「反応」(R)するという心理学の基本的なモデル(改訂版?三訂版ともp.3図0-1)を思い出して,まず心理学でいう「刺激」って何をさしているか考えないといけないですよね。窓から外を見る場合は,青い空とか緑の木とか見えるものが刺激なのでしょうか。
 勉強していくと,刺激にもいろんなレベルのものが登場していくことがわかります。青い空とか緑の木だとわかる前の段階,「青くて広い大きなもの」(海? 空?),「茶色の背の高いものに,緑色のものがついているもの」(だから電信柱じゃなくて木か)が「刺激」ともいえるでしょう。もっと科学的?分析的にいうと,青い光のエネルギーが,音の場合は50ヘルツ?70デシベルという音が「刺激」なのでしょう(改訂版p.81?84,三訂版p.117?123)。
 「受動的に感受」は「受け身でボーっと感じ受け止める」というふつうの意味でしょうが,このことが何をさしているのか,「能動的につかみとる」とのちがいをはっきり示せればこの3単位めはできたことになるようです。
 課題を具体的なことに言い換えられるとよいのかもしれません。窓から外を見る場合は,「青い空を見ることは,青くて広い大きなものがあるときにそのままボーっと見ていることではなくて,青くて広い大きなものが空だとわかり,晴れているなと思うこと」だと言えればいいのでしょうか。
 上の考えでは「能動的につかみとる」ことの説明がやや弱いような気がしますが,とりあえず自分なりの考え,心理学の大好きな「仮説」(?)として,これから「アドバイス」を読んでいきます。

 「メロディーは音の中に存在するのではありません。音と音との時間的関係から人が読み取るのです」。

↓

 「ド?ソ?ド?シドレ?ド」というメロディーは,ドの音,ソの音などひとつひとつの音からできているけど,ひとつひとつの音をいくら調べても,メロディーのきれいさはわからない。音と音のつながり方でメロディーが決まるという意味ならばわかりますが,人が読み取るという点がいまいちわかりません。
 きれいなメロディーが電車のなかで聴こえてきたとき,電車のガタンゴトンという音やまわりの雑音は忘れ去られて,「メロディー」のみを聴きとるということでしょうか。

 「映画のフィルムのひとコマひとコマの映像は静止画像であって……しかし,静止画像の連続のなか,人は『動き』をみる」。

↓

 ここでも,ひとつひとつ細かく分けて見ていくと「静止画像」にいきついて,映画の動きは解明できない,といったことが言われています。これは,『福祉心理学科スタディ?ガイド』p.50で書かれているデカルトの「切断」(細かい要素に分解)vs「統合」ということと関連しているように思います。
 教科書を読んでいった際,改訂版p.92に電光ニュース板,三訂版p.134横に並んだ数個のライトのことが書かれています。これは新幹線に乗った際に客室の前の方にあるニュースの電光掲示板をさしているのでしょうが,このことが「仮現運動」ということがわかります。
 「仮現運動」を辞書やインターネットで調べてみると,「ゲシュタルト心理学」で言われ始めたこと,細かい要素に分割していくというデカルト流の自然科学的方法では説明できないことをゲシュタルト心理学が指摘し全体を見なければいけないという立場であることがわかります。さらに,上のメロディーの話しもゲシュタルト心理学で言われたことがわかってきます。
 このように,バラバラな解説のなかに共通点を見出し,頭の中でひとつにまとめていくことができると,勉強するのが楽しくなります。そういう<発見>は,スクーリングで先生の講義を聞くとたくさん得られますが,独学の場合はたくさんの本を読んでいくとよいように感じています。

 『レポート課題集』のアドバイスに戻ります。「カメラで人物を低いアングルから撮影した写真でみると,その人物の脚がとても長い。ところが……」

↓

 人物を撮ることに熱中していると他のことが見えなくなってしまう,ということでしょうか。「知覚は刺激には忠実ではなく,その現実的意味に忠実なのです」ということは,心理学実験Iで行うような「錯視」の例,こわいものは大きく見える,気になることはよく聞こえる(カクテルパーティ現象)などが考えられ,「情報を能動的につかみとる」働きであることに気づかされます。

 次の段落の文章「知覚という心の働きによって,人は生きる上に必要な環境の情報を読み取り,それを手がかりとして,自分の行動を決定する」

↓

 心理学のひとつの「説明」の仕方として,何か心の働きは,生きる上で必要だからある,適応のためにある,進化の結果あるということを言うようです。自然のなかでエサをとるために,または食べられてしまわないために必要なのが知覚という説明ですね。人間の場合,信号を知覚して赤だったら止まらないと危ないといった物理的環境だけでなく,上司と話すときその人の表情を見ながら話さないと怒り出すかもしれないというような社会的(=人間関係的)環境も大切でしょうか。

 ここまででも随分大切なことが書かれていました。次に教科書を読んで,レポートを書くためのネタさがしです。これも,アドバイスにキーワードがないので,「知覚」が書かれている改訂版4章,三訂版5章を最初から読んでいくしかないようです。
 紙数が限られているので,私が読んで関連していると思ったところをあげていきます。

 改訂版p.81「知覚に際しては,注意とかまとめ方の面で過去の経験からの知識ないし枠組みが関与してくる」

↓

 これは「能動的につかみとる」(いらない情報を切り捨てる)ことの大きなポイントでしょうね。たとえば次のようなことがあるでしょう。

  1. 言葉の働き 空が空と見えるのは言葉があるから。
  2. ものを見るときの枠組み=スキーマ(改訂版p.100,三訂版p.148)。
    「スキーマ」のことだけでこのレポート課題は書けそうですが,その参考になったのは,池田謙一?村田光二『こころと社会』東京大学出版会,1991年です。また,他の教科書にも良く出ている「THA HAT」の文字列や「カ」を文脈によって,カタカナの「カ」と読んだり漢字の「力」と読んだり使い分けている例(『つっこみ力』ちくま新書,2007年)など。なお,三訂版p.132の「知覚における文脈の効果」も同じことですね。

 改訂版p.81「知覚も記憶も,単に感受したりという……受動的な過程ではなくて」
 三訂版p.126「私たちが知覚しているものは,刺激を単純にそのまま受け入れた結果ではない」

↓

 このことについて,さまざまな例がその後の教科書にはたくさん書かれています。このあたりのことを書くのが一般的にこのレポートに答えたことになるようです。

  1. 知覚の恒常性(三訂版p.126)?大きさの恒常現象(改訂版p.90)
  2. 図と地の知覚(三訂版p.128)?図と地の分化(改訂版p.86)
    =教科書の紙の上の文字を読むとき紙の白い部分が「地」で文字が「図」ですね。文字=「図」に注目していくのが知覚の能動的なはたらきのひとつでは?
  3. 群化知覚(三訂版p.128)群化(改訂版p.86)
    =三訂版図5-21,改訂版図4-11の図をよく見てください。くっついているとまとまって見えるのも,考えてみると知覚の能動的なはたらきですね。
  4. 幾何学的錯視(三訂版p.130?改訂版p.86)
    錯視が能動的なはたらきで意味があることは,下條伸輔『<意識>とは何だろうか』講談社現代新書,1999年を読むとよく理解できました。
  5. 主観的輪郭?知覚的補完(三訂版p.130)
    なぜ輪郭が見えてしまうのかも,知覚の能動的なはたらきのひとつですね。
  6. 奥行き知覚(三訂版p.132?改訂版p.86)
    目の網膜は平面的なのに,なぜ立体的で三次元であると知覚するのか。これも受動的ではない例ですね。

 さらに教科書を読んでいくと,改訂版p.136の発達心理学で勉強する赤ちゃんは母親と母親以外の声の区別ができてかつ母親の声によく反応するというような話(選考注視法ほか 三訂版p.76?80?改訂版p.132?136),社会心理学で勉強する「認知的不協和理論」(三訂版p.12?改訂版p.58)とか「コインの社会的認知の実験」(三訂版p.8?改訂版p.49;いかにもアメリカ的で個人的にはイヤな研究結果だと感じますが……)もこのような面があると思います。なお,「アフォーダンス」という最新の知覚の考え方から書くのもよいでしょう。

 私たちは,完全ではなく聖徳太子のように一度に7人の話を聞くことはできないわけで,何かを切り捨てている点でどんな知覚も受動的ではないのでしょう。すべてのことが知覚されたら,気がおかしくなってしまうかもしれません。
 また,言葉やスキーマがあることで,一々それが何であるかを考えなくても空は空だと知覚できる<楽ちんさ>はあり,危険な事態に陥ったときに一瞬にして逃げるという判断ができるのも,知覚がある意味で怠慢で必要なものだけを能動的につかみとっているせいなのでしょう。だけど,そのことが思い込みや偏見を生んでしまっている面もあるのかもしれないと感じます。
 繰り返しになりますが,この課題は最初何を言っているのか本当にさっぱりわかりませんでした。前担当教員の佐藤俊昭先生のスクーリングを聞くことと,アドバイスと教科書の熟読,そして心理学のいろいろな本を読むことで,とりあえず今は上のように考えています。参考にしていただき,ひとりでも多くの方がレポートに取り組んでいただけることを願っています。

(通信教育事務部 古藤隆浩)

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