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VOL.42 MARCH 2007

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【学習サポート】

[卒業される方へ] 卒業はあらたな始まり

通信教育部部長 寺下 明

◆ご卒業おめでとうございます

 晴れて通信教育課程を巣立つ皆さん,ご卒業を心よりお喜び申し上げます。皆さんの多くは,本来の仕事をもちながら,同時に通信教育課程で学ばれており,そのたゆまない研鑽に対して,深い尊敬の念を覚えます。その努力と苦労が実って,学位や資格という成果を手にすることができました。おめでとうございます。しかし,本当の成果は,目に見,手に取ることのできない自らの知性と精神にあり,それは形あるものよりもはるかに大きなものであると確信しております。

◆入学するのは簡単,卒業するのは難しい

 教育の機会均等という見地から大学を社会に開放し,いつでも誰でも学習できるようにというのが大学通信教育の理念です。しかし,通信教育という方法で,はたして大学教育がやれるのかという懸念がありました。そこで,できるだけきちんとした,通学課程に見劣りしない教育と水準維持に努めてまいりました。
 レポートや単位認定試験の評価や採点は,通学課程となんら変わることなく,厳しく行われます。スクーリングでは,体力と集中力が求められます。スクーリング時はともかく,自宅に戻ったときにいかに自己克己心をもって学習に取り組むかが問題なのだということがわかってきました。
 したがって,大学通信教育は「誰でも入れる」は正しいのですが,「誰でも簡単に卒業できる」というのは決定的に間違いです。孤独にコツコツと印刷教材だけの学習方法で単位を取るのはハンディがありすぎます。多くの人が入ってみたはいいけど,根気が続かなくて困難に直面しているのが現実です。
 しかし,最近のインターネットの普及で状況は変わりつつあります。オンデマンド型授業で学習内容が理解しやすくなる一方,孤立していた学生がホームページや掲示板でさまざまな情報を得られるようになりました。いまのところ,「誰でも入れて簡単に卒業できる」は間違いだけど,やり方によっては,「間違いではない」ということになるかも知れません。
 いずれにしても,通信教育で学ぶにはさまざまな困難があります。わたしたちもきめ細かな学習支援を心掛けていますが,いまのところ入学者に比べて,卒業者が大幅に少ないという結果になっています。しかし,そのことがある意味で通信教育の評価を高めているのではないかとも思っております。「教育の根は苦く,実は甘い」といわれる所以でありましょう。

◆卒業式の歌

 かつて,卒業式に必ず歌う歌がありました。「蛍の光」と「仰げば尊し」です。
 「蛍の光」の歌詞はいうまでもなく,
  蛍の光 窓の雪
  ふみ読む月日 重ねつつ

  ………………
です。意味するところは,夏は蛍の光で,冬は雪明かりで,本を読み,勉強をするという苦しい努力を重ねた年月の甲斐があって,いよいよ今日,卒業の日を迎えることになった,ということでしょう。曲はスコットランドの民謡 Auld Lang Syne「楽しかった昔」で,明治時代に,この曲に,この歌詞がつけられて,ひろく愛唱されるようになったことはよく知られているところです。
 今日の時代風潮を鑑みて,あえて故事を語ります。
 晋の車胤(しゃいん),字は武士,南平(なんぺい)の人なり。恭勤(きょうきん)にして倦(う)まず,博覧多通(はくらんたつう)なり。家貧にして常には油を得ず。夏月(かげつ)には則ち練嚢(れんのう)に数十の蛍火を盛り,以て書を照らし,夜を以て日に継ぐ。
 孫子世録(せろく)に曰く,康(こう),家貧にして油無し。常に雪に照らして書を読む。少小(しょうしょう)より清介(せいかい)にして,交遊雑ならず。後に御史(ぎょし)大夫(たいふ)に至る。(『晋書』)

 「仰げば尊し」については,今日卒業式ではほとんど歌われなくなってしまいました。なぜ歌われなくなったのか本当の理由はわかりません。もしかして,「身をたて名をあげ,やよはげめよ」という文句が引っかかっているのではないでしょうか。教育基本法には,教育の目的は「人格の完成」となっています。教育の目的は,もちろん立身出世ではありません。
 しかし,教育は,建前と本音の食い違いがもっとも生じやすい領域でもあります。教育や学問を生活のための投資と信じている人が少なからずいるはずです。学問を修め,大学を卒業することは,世俗的な栄誉でもあり,資格を取得することは職業におけるステップアップにつながります。そうした元気旺盛な学習動機を,向上心,大志,野望,その他呼び方はいろいろありますが,全面的に否定することはできないでしょう。「身をたて名をあげ,やよはげめよ」は,いまの世の中には不要と,安直に言い切らずに「裏声で」でもいいから歌いたいものです。

◆卒業とあらたな始まり

 英米では,高校までの卒業式は graduation ceremony といいますが,大学の卒業式は commencement と呼ばれることが多いそうです。辞書を引くと,commence には「始まる」という意味があります。卒業式を「終わり」ではなく,「始まり」とする見方は興味深いところです。
 近世の儒者,佐藤一斎は,その著『言志四録(げんししろく)』のなかで次のように言っています。
 「少にして学べば,則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば,則ち老いて衰えず。老いて学べば,則ち死して朽ちず。」
 これからの時代はますます不透明で,複雑で流動的になるでしょう。そういう時代に対応するためには,さらに知的再構築が必要になってきます。新しい学問も出てきますし,新しいやり方も出てきます。
 皆さんが澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】通信教育部を卒業したのは,それ自体が目的ではなく,過程なのだと思います。本学通信教育で学んだ経験や人との出会いを大切にして,これからの実生活においても,「行学一如」を実践されることを願っています。

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