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VOL.58 MARCH 2009

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修士論文指導 誌上入門講義
修士論文への道?レポートから論文へ?(その1「学習」と「学問」)

教授 阿部 裕二

● ことのきっかけ

 通信制の大学院生の皆さん,さまざまな環境のなかでの『学問探求』お疲れさまです。皆さんなりの希望が成就されますことを祈念しております。
 さて,今回,通信教育部から「『修士論文』に関することを書いて欲しい」という旨の依頼がありました。個人的には,大学院の講義において「修士論文とは何か」,「書く(まとめる)ためには何が必要か」などについても話をしていますので,「この紙面を借りて述べると講義も効率的になるかなぁ」という安易な考えと,基本的にお願いされれば断ることができない性分(?)もあってお引き受けすることにしました。

● あ?,困った

 ところが,「さあ,書こう!」と思い書き始めたところ,徒然なるままに書いたこともあって指定された字数をかなりオーバーしてしまいました。指定の紙幅に納めようと努力はしましたが,うまくいきません。そこで窮地の策として分割して掲載させていただくことにしました。したがいまして,これから『修士論文への道?レポートから論文へ?』と題して,レポートと論文を比較しながら修士論文作成までの道筋を,何回かに分けて述べさせていただきます。小出しにするようで申し訳ありませんが,このような勝手な事情をご理解ください。

● 何が問題?ポイントなのか?

 大学院で学ぶ以上,修了する際には「修士論文」の提出が義務づけられています。大学院に入学する際には,「???について研究を深めていきたい」,「???の現場体験を理論化してみたい」などとさまざまな思いをもって来られたでしょう。しかし,いざ実際に修士論文を作成する段階になると,あるいは取り掛かろうとすると,「なかなか前に進むことができない」ということが大勢の方々にみられる共通の現象です。
 実は,私自身も大学(学部)や大学院生の時代に,卒業論文や修士論文において「どのようにテーマを設定したらよいのか」,「何をどのように記述したらよいのか」などについて悩み,行き詰った時があります(今でも頻繁に行き詰りますが???)。悩んでいくうち,その悩みの中心に「そもそも(修士)論文とは何なのか」,「今まで書いてきたものと何が違うのか」という基本的な「問いかけ」に解答を見出せない自分がいることに気づきました。つまり,論文を書くのに論文そのもののの意味を十分に理解していなかったのです。
 さらに,恥ずかしいことに大学院で学ぶ?研究する意味,平易にいえば「学び方」についても明確な考えを持ち合わせていませんでした。自分では「???をやりたい」と考えて進学したつもりでした。とはいえ,結局,漠然としたものしか持ち得てなく,「どのように学ぶか(学び方)」の具体的な理解はありませんでした。その意味で,大学院での「学び」,「研究」の集大成として修士論文が存在するわけですから,まず初めに大学院での「学び方」について自問自答することがとても澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】になるのです。

● 本シリーズのこれから

 そこで,今回の「その1」では,修士論文に取り掛かる前提として,「そもそも(修士)論文とは何か」ということを考えるために,「大学院での学び方?学ぶ意義」について私見を述べていきたいと思います。通信制の院生のなかには「そんなことぐらいいちいち言われなくても分かっている」という方々もいるかも知れませんが,今一度確認するつもりでお付き合いください。
 なお,これから述べる内容は,社会福祉学専攻及び福祉心理学専攻の院生に共通した内容もありますし,研究の方法によっては該当しない内容も含まれているかも知れません。この点に関しては,読まれる皆さんなりに取捨選択しながら参考にしてください。

●「学習:学んで習う」こと

 一般的に,高校では「学習」をし,大学では「学問」をするといわれます。まず,この「学習」と「学問」について再考してみましょう。広辞苑(第六版)によると,学習とは「過去の経験の上に立って新しい知識や技術を習得すること。技能?知識を意識的に習得すること」(498頁)と記載されています。もう少し分かりやすく言うと,実社会に出るために,既存の基礎的な知識や問題解決法(技能)を吸収し習得することに重点を置いた学び方が「学習」(学んで習う)といえるのです。「既存の」ということでは,すでに存在しているものをそのまま吸収?習得し,しかも相手から習うわけですから,学び手としては受動的な学び方にならざるを得ません。

●「学問:学んで問う」こと

 それでは,次に「学問」について述べていきます。「学習」に比べると「学問」は難しそうにみえますが,あるいは聞こえますが,文字通り「学んで問う」ことです。大学における学ぶ分野は多岐にわたりますが,完全な?絶対的な知識や技術などは存在しません。私たちは絶えずこれらを更新?再構築していく必要があります。つまり,私たちはただ単に既存の知識や技能を受動的に習得する(習う)のではなく,現代の社会?生活において過去?現在の知識や技術が正しいか否か(適合するか否か)を判断する能力が求められているのです。
 そして,さらに何が本当の問題なのかという問題の本質を見極め,その問題への解決法を提示できる本質的問題発見―解決能力を醸成させることが「学問」の内容ともいえるでしょう。
 「学習」や「学問」のいずれの場面でも学ぶことは当然澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】なのですが,「学問」には,「学習」とは異なり,さまざまな場面での「問いかけ」が不可欠となります。「何故なんだろう」,「どうしてなんだろう」,「本当なんだろうか」などの「問いかけ」です。自らが「学んで問う」わけですから,受動的な姿勢であっては「問う」ことはできません。その意味で,「学問:学んで問う」際には,学び手の主体性が求められているのです。もちろん,大学院の研究において「問う」ことは,そんなに簡単なものではありませんが,この点に関しては,次回以降に譲ります。

● 資格の死角?

 ところで,世の中は「資格の時代」といわれています。それは,福祉系の大学においても例外ではありません。大学の推薦入試でも,志望動機として「資格を目指す」と答える受験生が大勢います。しかし,資格を目指すだけの大学教育は,受験に合格するための学び方に終始し,そこでは「学問」の世界では欠かせない「問いかけ」が欠落してしまう危険性があります。つまり「学問」ではなく,知識や技術の習得に努める受け身的な「学習」にとどまってしまうのです(本学は違いますが???)。
 もちろん資格そのものを否定しているわけではありません。合格するためには受験勉強も必要かもしれません。ただ言えるのは,資格は目指す目的なのではなく,なりたい自分になるための一手段ですし,そのためにも資格を得ようとしている自分自身を磨き?高めることが最も澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】な付加価値であると考えているのです。
 大学教育の本流は,「学んで問うこと」を通じて,「本質的問題発見―解決能力」を醸成させることであると再確認する必要がありますし,大学院における「学び方」は,この延長線上(より一層深める)に位置しているのです。

● ここまでの内容と修士論文との関係

 ここまで,「学習」や「学問」の話を中心に述べてきましたが,実はこれらの内容は「(修士)論文」を作成するにあったって,非常に澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】な前提となるのです。というのは,論文は「問い(かけ)と解答」から構成されているからです。この「問いと解答」の形式をもたない文章表現は,論文とはいえません。つまり「学んで問う」姿勢から論文は始まるのです。
 「学習」と「学問」は,大学へ入学する高校生向け,あるいは大学新入生向けの話かもしれませんが,「論文とは何か」を述べる際に不可避な前提条件でしたので,敢えて記述いたしました。
 次号では,『修士論文への道?レポートから論文へ?』の「その2」として,レポートと比較しながら,「論文とは何か」について具体的に述べていきたいと思います。
(以下次号)

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