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VOL.58 MARCH 2009

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[精神保健福祉援助実習] 24年間の精神障がい者支援をふり返ってみて

医療法人報徳会 宇都宮病院 ソーシャルワーカー
本学精神保健福祉援助実習巡回指導教員
 野口 悦紀

◆24年前の精神科病院

 私が精神科ソーシャルワーカーの職に就いたのは,今から24年前のことです。当時の精神科病院は,医療だけでなく患者さんが作業を行う場であり,また地域生活を送る患者さんたちの憩いの場?支援の場でもありました。もちろん,当時の精神医療?保健における制度やケアの中心は医療ですから,現在のような「退院促進」や「地域生活支援」に関する制度はほとんどありませんし,全ての病院がこれらを行っていたわけではありません。ほとんどは,病院独自のサービス(または施設独自のサービス)として細々と行われていました。これは,今日の支援や制度の原型といえるものだったと思います。私はこのような時代に就職しました。

 当時の精神科病院は,急性期病棟を除き,開放病棟には比較的若い患者さんが多かったと思います。活気がありながらもゆったりとした雰囲気があり,晴れた日には患者さんたちと職員とがグラウンドでソフトボールや,ベンチで歓談をして過ごしていました。それが実に楽しそうで,新人の頃から仕事中に何かと理由を作っては,その輪に加わっていました。

◆さまざまな患者さんたち

 何人もの患者さんとお会いする中で,いくつかの驚きがありました。普段穏やかで弱々しい方であっても,びっくりするような病歴を持っていることがあります。また,退院が近づくと病状が悪化し,退院が延期となる方もいました。念願の退院であるにも関らず,なぜ病状が悪化するのかとても不思議でした。

 さらに,退院後1ヶ月もたたずにやつれて無精ひげを生やし,幻聴や幻覚を訴え再入院してくる方や,「もう絶対に酒なんか飲まねえよ,だいじだよ(栃木弁で,「大丈夫だよ」)」と退院した翌日,酔って大暴れし再入院となったアルコール依存症の患者さんもいました。そして最も驚いたことは,理由はさまざまですが,精神病の患者さんが亡くなられていくという現実でした。

 それまで出会ったことや経験したことがないことばかりで,戸惑いを禁じえませんでした。

◆仕事をしていくなかで???

 その後,少しずつ仕事にも慣れ,院内で疾患別社会復帰のプログラムが始まり,社会復帰のための個別支援やアルコール依存症治療プログラムに携わる中で,戸惑いもあまり感じなくなりました。

 退院する患者さんたちと関わるようになり,地域で生活するためにはさまざまな準備が必要であることを知りました。さらに,アパートを借りる際の保証人の問題,必要な生活費の確保,日常生活の過ごし方など,患者さんと進めなければならないことがたくさんあることも教えられました。

 ある日,上司から「この患者さんの退院をやってみてよ」と申しつけられました。私は,教科書などに書いてあった「社会資源」である社会保障制度を利用していこうと考えました。ところが,この「社会資源」がうまく使えないのです。実際に利用するためには,制度理解や工夫が必要でした。特に,障害年金申請においては,最低でも納付要件や給付要件について知らないと支援には関われません。

 もたもたしてなかなか退院をすすめられない私は,上司から「もっと勉強しなきゃだめなんだよ」と叱られ,さらに「僕は忙しいし,人に教えるのが嫌いだから,わからないことは僕に聞かないで自分で勉強してね」と突き放されました。「嫌いだからって誰に聞けばいいだよ。ちっ,冷たい奴」と心の中でつぶやきつつ,自分で調べるしかありませんでしたが,資料を読むだけではどうしても限界があります。そんな時に頼ったのが,制度に精通した機関の担当者などに相談をするということでした。もちろん,全く面識のない方にもです。これが,思いのほか丁寧に教えてもらえました。その道に精通した方々の情報や知識は豊富であり,何よりも各自がすばらしいネットワークを持っていることに驚かされました。本当に支援への助けとなりました。

 それからはいろいろな所に電話をし,聞いて聞いて,聞きまくりました。その道に精通した方々は,謙虚ですが頼られると決して「わからない」「できない」とは言わず,何とかしようと知恵を絞ってくれました。

 これらを通して,私なりに気づいたことや理解できたことがいくつかあります。中でも大きな気づきだったのは,患者さんや障がい者の方々への支援にとって最大の「社会資源」とは,法律や制度ではなく「人」なのだということでした。法律や制度を最大限活用できるのは,最終的に「人」なのです。私たちの支援とは,このような「人」と支援を求めている患者さんや障がい者の方々とを結びつけ,満足してもらえるよう関わっていくことにある,と私なりに自分の仕事を理解するようになりました。そして,私もそんな「人」になっていかなければならないと感じさせられました。

 これは,上司の突き放しがあったからこそ気づけたことだと思いますが,何年か過ぎてから上司に「あの時に『僕は人に教えるのが嫌いなので自分で勉強してね』と○○(上司)さんに言われました」と話すと,「そんなこと言ったの? 僕はそんなこと言ってないよ,言うわけないよ。でも僕は人に教えるのは嫌いなんだよ」で終わってしまいました。

◆現在の私の仕事について

 ここ数年,私が所属する病院では,かつて当たり前であった精神科での長期入院者が確実に減少しています。そのかわりに,グループホームやアパート,自宅に退院し,地域で生活を始める方々が増えており,私たちの仕事も,地域生活者への支援,特にグループホームで生活する方々への支援に多くの時間を費すようになりました。

 支援の内容はさまざまですが,入居者と近隣者とのトラブル,入居者同士のトラブル,さらに入居者の病状変化への対応には労力を要します。

 特に多いトラブルは,入居者同士のトラブルです。対人関係に問題がある入居者もおり,些細なことで言い争いが始まると,互いに上手に争いをやめることができず,共同生活を続けていくことが困難になってしまうこともあります。そのため,すぐに両者から事情を聴き,トラブルの原因を探り,解決のため当事者に働きかけるのですが,互いの主張を十分に聞き,思いを受けとめなければなりませんので,時間もかかり容易ではありません。

 トラブルが落ち着き,ある程度地域生活が安定した入居者へは,生活の質の向上に関する支援へと移行します。より快適な生活や仲間,仕事が求められるようになります。地域生活支援を行う中で,私たちの仕事が「環境と人との調整」であると言われる所以が,少し実感できるようになりました。

 また,これらの関わりや支援を行う中で,是非取り組まなければならないと感じていることがあります。それは,病や障がいを持ったことで経済的にも社会的にも不利益が生じてしまうことへの対応です。知らなかった,病気や障がいのために気づけなかった,誰にも教えてもらえなかったので分からなかった,こうしたことで失ってしまう権利がたくさんあります。例えば,障害年金で数百万円の請求権があったが,未手続であり,5年時効によってそれ以前の受給分の遡及(そきゅう)請求ができなかったということを何度も経験しました。このようなことが,経済的に苦労されている患者さんや家族の方に起きてしまうことは,残念でなりません。

 また,以前に比べ少なくはなりましたが,精神病?障がい者の方々に対する変えることができない人々の強い思いに触れることが時折あります。「環境と人との調整」だけでなく,精神病?障がい者の方々への「権利擁護」についても,私たちは,直接的,間接的にさまざまなかたちで取り組まなければならないと痛感させられています。

◆おわりに???

 本来であれば,精神保健福祉士を目指す学生さんに期待すること,精神保健福祉援助実習生に期待すること,実習担当者が望む実習生像についても,お伝えできればよかったのですが,今回は,私の24年間と私の仕事について紹介させてもらいました。とりとめのない話ばかりで,あまり皆さんのお役に立たないかもしれませんがご容赦ください。

 しかし,私にとってはとてもよい機会であったと感じています。ここ数年,本当に慌ただしい毎日を過ごしており,なかなか立ち止まって自分をふり返ることができませんでした。久しぶりにあの上司とのやりとりも思い出させてもらい,なつかしく思います。今度上司に会った時に,もう一度聞いてみたいと思います。

 最後になりますが,皆さんが無事卒業され,今後それぞれの分野でご活躍されることを衷心よりお祈り申し上げます。

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