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VOL.11 JULY 2003

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[教員MESSAGE] パソコンとの出会い

社会福祉学科 学科長
三浦 俊二

1.パソコンは計算機だった

 私とパソコンとの出会いは,かれこれいまから30年くらい前のことになります。はじめて私がパソコンを利用した目的は,計算機としてでした。少しおかしな言い方ですが,30年前のパソコンのもつ能力は現在の機能満載の電卓にプラスα程度のもので,容量の大きい計算をしようとするとコンピュータ会社にデータを持ち込んで,奨学金を計算の費用につぎ込んだものです。その計算も一度ですめばいいのですが,データを変更したりしながら,何度も何度も繰り返し,そのうち,計算の結果よりもかかる経費が気になってしようがなかったことを思い出します。
 パソコンを使った最初の頃の計算は,重相関分析(複数の変数間における相互依存関係の計算),重回帰分析(独立変数と従属変数の間にみられる因果関係を解明する計算),主成分分析(たくさんの変数をいくつかの要素に分けて,分類,グループ化するための計算)などでした。その意味では,30年前のパソコンは,イコール計算機(計算だけをする機械)といったイメージで当たり前のように利用していました。そして,計算を行い,結果が出たあとのレポートは,一生懸命に手書きで行うといった時代でした。

2.統計資料の在処

 学生時代の私は,社会学に関心があり,特に,農村の社会現象を計量的に分析することに興味をもっていました。そのうち,どのようなデータがどのような統計書に掲載されているか,数字だけが書かれている統計書に惹かれていきました。高校生まではみたことのないような数字の羅列がそこにありました。「国勢調査」をはじめとして,どのような統計書にどのような数字が掲載されているのか,データの在処を探し求めたものです。
 例えば,人口ひとつをとってみても,ある町の人口総数は何人,男女別に何人,年齢別にみても何人,年齢別も年少人口(0?14歳),生産年齢人口(15?64歳),高齢人口(65歳以上)と区分があり,もっと細かくみるには1歳階級別に掲載もされています。しっかりと統計書の掲載の形を知っていれば,目的によっていろいろな形でデータを活用することができるのです。
 いまの学生のなかには自分でデータを収集し,目的にそってデータを加工するという意識をもっている者が少ないように思います。何故かといえば,今日の行政や報道機関は,高齢化率や少子化のデータを公表し,高齢人口や年少人口の数や率は,調べることなく知ることができるのです。そういう意味では,資料収集に努力することがなくなりました。しかし,マクロ的なデータ(例えば,仙台市)は公表されるのですが,ミクロ的な国見(大学の所在地)の人口や高齢者の数は,一般には公表されていません。では,調べることはできないかといえば,そうではありません。調べたいまちの役所に行けば,ミクロ的なデータもちゃんとわかるのです。問題は,調べようとする気持ちと努力,根気です。

3.調べることの大切さ

 コピーが蔓延している時代にあって,コピーすれば事足りるように思われがちで,調べるということが軽んじられている時代のような気がします。いろいろな著書にはさまざまなデータが掲載されており,調べることなく活用することはできます(孫引きといって,禁じ手です)。しかし,大切なことは検証すること,確かめることです。日本の高齢化率が何パーセントか,そうすると,総人口が何人で,65歳以上人口が何人,そのうえで高齢化率が計算され,確認することができるのです。一つひとつにこうした確認が大切です。
 いまは,既存のデータをそのまま受け取ることが当たり前と思っているところがありますが,あまりにも受け身すぎると思います。もう少し率先して,どん欲に学ぶ姿勢が必要なのではないでしょうか。それを働きながら学ぶみなさんに,負担だとは思いつつも期待したいと思います。ここのところ,レポートを読んでいて,本の丸写しが何編かありました。考察がほしいように思います。

4.パソコンに出会って

 変な言い方ですが,思い出しますと,私が最初に知った計算することのできる機械は計算機というものではなく加算機と呼ばれているものでした。その機械は「タイガー」と呼ばれていました。そして,計算機といえるものに出会ったとき,その計算機は計算機ではなく,いまの電卓程度の能力しかなく,重量だけが20キロもある真空管を用いた計算機でした。パソコンといえるものに出会ったのはアメリカ製の当時としては高価な200万円もするような代物でした。
 そうしたなかで,パソコンという機械を知ることにより,私のなかで勉強の方法やものの考え方も変わりました。パソコンを計算機として活用していた時代があり,そのうえにワープロ機能を知り,いまではインターネットの活用やメールを送ることを知るようになってきました。メールといえば聞こえはよいのですが,たかが文通ではないかと思う私は古い人間でしょうか。そして,現在はパソコンをおもちゃにし,ブラジルに留学中の教え子とメールで勉強の進捗状況を確認したり,毎日のようにパソコンのスイッチをONにしている自分がおり,メールの受信を確認しているそんな時代にもなってきました。
 便利な時代になり,気をつけていきたいと思っていることがあります。ディスプレイのなかだけでものをみていると全体が見えなくなってくるような気がしてなりません。そうしたなかで,便利な機械(パソコン)を利用し,機械だけに頼るのではなく,ものごとの全体が見渡せるように努めていきたいと思います。

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