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【通信制大学院コーナー】

[教員研究紹介] 手をつなごう,心の世紀に

教授
佐藤 光源
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 この題名は,昨年8月に横浜で開催した第12回世界精神医学会(WPA)のメインテーマ“Partnership for Mental Health”の日本語訳である。洋の東西や職域,立場の違いを超えて精神障害に関わるすべての領域の人々が集い,学際的な協力によって21世紀を心の世紀にしようという意味である。開会式には皇太子ご夫妻が臨席され,6日間の大会には111カ国から6,300人,市民フォーラムやサテライトシンポジウムを合わせると約1万人が参加した。アジアで初めて開催されたせいか過半数が海外からの参加者であった。この大会が日本精神神経学会(JSPN)創立百周年を記念して誘致されたこともあって,わが国における精神医学と医療?福祉の百年の歩みが広く海外に紹介された。
 人生は生涯にわたる心の営みの歴史であり,その人だけのかけがえのない命である。一度しかない人生だからこそ,自由で豊かなものであってほしい。個人と社会の関わりのなかでさまざまな人生のドラマが展開されるが,心を病んで社会生活ができなくなるほど不幸なことはない。それは人間が社会の生きものであり,社会的な存在が身体的な命を超えるほど重いことを物語っている。ここでは,WPA横浜大会で話題になった精神分裂病の呼称変更とWPA横浜宣言について紹介してみたい。心の医療と保健?福祉はノーマライゼーションを共通の目標としており,その目標を達するには関連する多くの職域の人々の連携が不可欠であることを読みとっていただければ幸いである。

●1 精神分裂病の呼称変更
??「第二の病」second illnessからの解放

 JSPNが「精神分裂病」を「統合失調症」に変更したことが大きな話題になり,国内はもちろんロイター通信や共同通信で世界に配信された。では,なぜ今,統合失調症なのだろうか。
 精神分裂病は100人に1人というごくありふれた病気なので人ごとではないが,この病気には大きな「第二の病」がある。それは,精神分裂病と診断されたために発生するスティグマや偏見,差別の別名である。精神医療も保健?福祉もともに障害者の社会参加(ノーマライゼーション)を目指しているが,精神分裂病よりむしろ「第二の病」の方が障害者のノーマライゼーションを阻んでいるのが実情である。スティグマとは診断された人への偏見をかき立てることをいい,偏見はそれが妥当かどうかを問わないでとってしまう障害者への態度であり,差別はスティグマと偏見のために障害者が社会参加する権利や利益を奪われることである。精神分裂病がなぜ深刻な「第二の病」を抱えてしまったのだろうか。

1)医学的な問題
 Schizophrenia(Bleuler, E.,1911)という病名が「精神分裂病」と翻訳されたのは1937年のことである。当時は有効な薬物療法がなく,原因不明,若年発症,慢性進行性に人格が荒廃する予後不良な病気という昔の疾患概念(早発痴呆,Kraepelin, E.,1893)を継承していた。だから,当時の精神科医はどの程度この病気で損なわれているかという目で患者の人格を評価していたし,予後についても絶望的であった。「精神分裂病」という病名が人格否定的だといった問題提起すらなかったのは,むしろ当然のことであった。
 ところが1950年にクロールプロマジンが発見され,その後もハロペリドールなど有効な薬があいついで開発された。薬物療法の時代が訪れたのである。しかしこれらの薬は有効ではあるが副作用もあり,それが患者の社会参加を損なうことも少なくなかった。ところが数年前から新世代の抗精神病薬が日本にも導入され,同様の有効性をもちながら副作用が少ない薬があいついで登場したのである。それは,薬物療法に心理社会的なケアを組み合わせた包括医療を可能にした。
 この病気の予後についてもこの半世紀に多くの国で調査が行われ,過半数が回復することが明らかになった。もはや不治の病ではなく,治療可能な病気であることが実証されたのである。今では治るが再発しやすいことが注目され,服薬の継続と心理的な危機介入や生活支援が重視されるようになっている。
 病気の原因もかなりわかっている。神経科学や脳の画像解析法の進歩により,この病気が症候群であって一つの疾患単位ではないことや,脳ドーパミン神経系を主とする神経伝達系の異常が脳の脆弱性を形成していること,その脆弱性とストレスとなるライフイベントの相互作用で発症することが明らかにされている。
 このように,今では精神分裂病は治せる病気であり,その病態も治療法も明らかになり,疾患特異的に人格が荒廃するという昔の疾患概念はすでに否定されているのである。今でも昔の誤った疾患概念を継承しているところに「第二の病」の原因があり,今日の適切な疾患概念で規定した「統合失調症」に変更しなければならなかった理由でもある。WHO健康レポート2001には「初発患者が早期に進歩した薬物療法と適切な心理社会的な介入を受ければ,約半数に長期にわたる完全な回復を期待することができる」と明記されているが,そうした現状を一般市民や他科の医師たちはどの程度理解しているのであろうか。今後の地道な啓発活動が必要である。

2)精神病患者の処遇
 今回のWPA横浜大会では,JSPN創立百周年記念式典で日本における精神医学?医療の百年を回顧する機会を得た。そこで,わが国における精神病者への処遇史が「第二の病」を生むもう一つの原因であることを指摘した。精神病とは幻覚や妄想,著しい精神運動性障害がみられる状態をいい,精神分裂病の急性期がその典型とされている。
 江戸時代までは,治療法がないこともあって,病人を座敷牢に閉じこめるのが慣習となっていた。ところが1900年に「精神病者監護法」が制定され,この私宅監置が法制化されたのである。欧州の精神医学を学んだ呉秀三が,この法律を廃絶するために書いたのが『精神病者私宅監置の實況』(1918)である。そこには不潔な檻に入れられた「ほとんど見るに堪えざる程悲惨なる光景」が66枚の写真と105カ所の実状として紹介され,第2章には私宅監置の実状が詳しく書かれている。「わが国十何万の精神病者は,実にこの病を受けたるの不幸の外に,この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし。精神病者の救済?保護は実に人道問題にして,わが国目下の急務といわざるべからず」という有名な言葉を残したのはこのときである。その翌年に「精神病院法」ができたが,第一次世界大戦後の財政難から実効はなく,精神病院での処遇も非人道的な監護に過ぎなかった。この私宅監置がようやく法律で禁じられたのは,戦後の精神衛生法(1949)の制定まで待たねばならなかった。それでも私宅監置跡は四半世紀前まで仙台市内でも見かけられたという。
 このように,いったん精神病状態になるともはや人間として処遇されることはなく,適切な治療もないまま,自傷他害の恐れという理由で社会から隔離され続けてきた。この悲惨な歴史は,その後の精神保健法(1987),障害者基本法(1993)や精神保健福祉法(1995)の制定という長い道のりを経て今日を迎えており,今では精神障害者も他の障害者とともに社会参加の権利が保障されている。しかし,現状がノーマライゼーションの理念にかなうまでの道はなお遠く,「第二の病」が克服されねばならない。精神障害への偏見は,当事者だけでなく,精神障害に関わる医療?保健?福祉の専門家や施設にまで及んでいる。1937年に翻訳された「精神分裂病」という病名には,こうした非人道的な処遇の歴史に由来したスティグマが刻み込まれているのである。それは,精神分裂病が「精神が分裂する病」という人格否定的な響きがあるので名称を変更してほしいという家族や当事者の声に集約されているようである。
 新しい病名になって最も期待しているのは,インフォームド?コンセントに則った医療と保健?福祉の普及である。従来の病名告知率は10ないし20%であり,診断書の病名に別の病名を書くことも少なくなかった。それはこの病名が「第二の病」をもっていることをだれよりも精神科医自身が知っていたからに他ならない。統合失調症でいま治療中の67万人の8割以上が,自分の病名や治療の目的?方法を正しく知らされないまま治療を受けているのである。新しい病名を伝え,病気の概念と治療法をよく説明し,当事者や家族とわかりあった医療と福祉を展開することが心の世紀の幕開けであり,そうした治療?福祉のあり方をWPA所属学会120カ国に勧告したのがWPA横浜宣言であった。

●2 世界に向けたWPA横浜宣言

 心の病気をもつ人たちへの医療と福祉は,体の病気の場合とやや異なっている。心の場合には社会的な存在の危機を救うのが使命であるが,体の場合には身体的な救命が第一の使命である。肺炎の治療に患者の人格や知能,生活環境や社会生活能力を評価する必要はないが,統合失調症や神経症といった心の病気の場合にはそうした全人的な評価が不可欠なのである。
 心の病気の診断には,米国精神医学会の多軸評価法が広く用いられている。それは患者を病気,人格と知能,身体疾患,生活環境と社会生活機能のレベルの5つの軸に分けて評価する方法である。各軸にある問題を整理し,それぞれに対して薬物療法,精神療法,家族療法や環境調整,精神科リハビリテーションや生活技能訓練などを用いて対処法を考える。患者の抱える諸問題を全人的にとらえ,薬物療法と心理社会的なケアをバランスよく組み合わせたものが包括的な治療計画であり,それを急性期,安定化の時期,安定期といったステージごとに見直していくのである。その実践にあたっては,精神科医だけでなく看護師,臨床心理士,保健師,精神保健福祉士などのコメディカル?スタッフの協力が必要で,ノーマライゼーションには精神科リハビリテーションや地域生活支援に携わる多くの職域の専門家とのパートナーシップが必要となる。当事者とのパートナーシップが原点であることも欠かせない。これが,WPA横浜大会のメインテーマ「手をつなごう,心の世紀に」に他ならない。
 では,そうした治療ガイドラインに示された医療がはたして世界各国で行われているのだろうか。国連119号決議には「精神疾患をもつ患者の人権を認めて,適切な精神医療や保健?福祉を享受する権利を保障する」と謳われているものの,実際には適切な精神医療?保健?福祉を受けていない国が大半である。WHOの健康レポート2001をみても,アジア太平洋地域やアフリカ諸国の約半数で精神保健施策が実施されておらず,精神保健の問題における教育や実習が不十分で現在入手できる科学的な知識が十分に活かされていない。日本を含めて欧米ですら同様の状況にあることをJSPNは遺憾とし,WPA横浜宣言をだして速やかな改善を勧告した。詳細はJSPNのホームページ(http://www.jspn.or.jp)に譲るが,すべての地域で患者?家族の負担を軽減するための努力を促し,患者,家族,地域の専門家,政治家,保健産業界,報道機関や社会的な集団の間のパートナーシップが澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】であることをよく認識するよう求めている。精神医療と保健?福祉は障害者の人生に輝きを増す大切な領域であり,それぞれの職域が相互理解を深めて手をつなぐべきである。その意味で,今回のPartnership for mental healthという大会テーマは,今後もその輝きを失うことはないであろう。


参考資料
呉 秀三?樫田五郎:精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的観察.創造出版,東京,2000
日本精神神経学会(監訳):米国精神医学会治療ガイドライン??精神分裂病.医学書院,東京,1999
日本精神神経学会:統合失調症.http://www.jspn.or.jp

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