【通信制大学院コーナー】
[修士論文指導] 心理学における研究の進め方?論文の書き方(2)
福祉心理学科学科長
木村 進
大学祭の期間中,通信制大学院の学生で,私のもとで修士論文を作成したいという人のために,修士論文のための研究について話し合う会を設けました。前日夜のコンパと一人30分ずつの指導で,ある程度見通しの立った人もいますが,「かえってわからなくなった」と指導教員の不安感を増大させて帰った人もいます。
さて,本論に入りますが,その前に,現在,研究室で助手をしている若手の研究者に,どのようにしてテーマを決定したか,取材してみましたので,簡単にご紹介しておきましょう。一人は,授業で,高齢者のソーシャル?サポートについて学んだことから,「配偶者を亡くした高齢者のストレス対処」というテーマで卒業論文を書き,その後,ストレスについての興味が強くなったので,修士論文では「進路選択に関するストレス」をテーマにしたということです。もう一人は,指導の先生に相談に行った時に「タイプA人格」というものがあることを教えられ,それとストレス対処の関係(リラクゼーション)について研究することになったという話でした。
●4 研究というものは
心理学における研究は,多くの場合,人を対象にします。たとえば,質問紙調査においては,多くの人に回答をお願いすることから始まりますし,観察法を使用する場合は,対象となる子どもや大人のもとに出向いて,観察を行います。よく学生に言うのですが,「自分の研究のために,対象者の時間をもらったり,対象者の生活に介入したりすることが許されるのだろうか」と考えてみてください。研究する側は,それが卒業論文であれ,修士論文であれ,データが必要なわけですから,調査,検査,観察などの方法によってデータを集めなければなりませんが,そのことが相手にとってはどういう意味があるのか,ということを考えなくてもいいものでしょうか。相手の時間をもらう代わりに,対価を払うという方法もありますが,日本では一般的ではありません。
このことに対する答は難しいのですが,私は,「研究というものは,広い意味で,人類の幸福のために行うのだ」と説明しています。研究対象となった人に直接的に応えるのではなく,小さな研究でも,それが人々の幸福に少しでも寄与できるはずだということで,相手の時間をもらったり,生活に介入したりすることが認められるのだと思っています。そういう意識をもたない研究者は,ただ自分の利益のために研究を行うことになり,それは本来あるべき姿ではないでしょう。
もちろん「人類の幸福」などと大きなことをもち出したのでは,誰も研究できなくなるかもしれませんし,すべての研究がただちにそのような目標をもつということもないかもしれませんが,このような意識から始めないと,次の「仮説」がなかなか出てこないのではないか,と思うのです。あくまで意識の問題として,頭のすみっこに入れておいてほしいと思います。
●5 仮説を立てる
テーマが漠然としていながらも方向性が見えてきて,それに沿って文献で理解を深めるというのが,前回までの段階でした。そのような「文献研究」によって,自分が研究しようとしている領域についての理解が深まってくると,これまでに何が明らかになっているのか,何がまだ明らかにされていないのか,ということがわかってきます。そうなると,自分のテーマとして,何を研究すべきかということが,はっきりしてきます。その意味でテーマに沿って文献を幅広く読むということは,研究の土台として非常に澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】なことなのです。
テーマがはっきりしてくるということは,自分がやろうとしている研究の結果(答)が見えてくるということでもあります。答がまったく予想できないようでは,まだ文献学習が足りないということですし,後で述べますが,どこから研究に取りかかったらいいかがわからないということですから,研究以前の学習を積み重ねなければならないということになります。この答の予想を,専門的には「仮説」と呼びます。
研究というものは,自分が予想した答(仮説)が正しいかどうかを,データによって明らかにしようというものなのです。前回,お酒を大量に飲む学生とほとんど飲まない学生はどこが違うのかという卒業論文のテーマがあったと紹介しました。この場合の仮説は,たとえば,体力や素質が違うのではないかということも考えられますし,親の飲酒経験が影響しているのではないかという予想も立ちます。また,その学生の性格や交友関係が関係している,物の考え方が反映しているとも考えられます。これらが,仮説の第一段階です。この第一段階の仮説で研究ができるかというと,そうはいきません。
このテーマで,体力や素質が違うのではないかという仮説を立てたとして,それを証明するためには,体力や素質についてのデータを収集して,それを両者で比較する必要があります。だから,体力や素質のなかの「何が」お酒を飲むことと関連するだろうかと考えなければならないということになります。性格を仮説としてもってきた場合も同様で,性格検査によって調査することになるでしょうが,性格検査を選択するためには,「どのような性格が関係しているか」という予想を立てなければなりません。そこまで行って初めて,研究に着手することができるのです。これが,仮説の第二段階です。
この段階まで来ると,研究の焦点がはっきりしてきますから,再び文献を読んでみましょう。自分が考えている予想(仮説)が的はずれでないかということを中心に,今度は,関連する研究がどのような方法を使って行われているか,という点にも注目します。そうすると,最初に読んだ時には気がつかなかった点に気づいたり,解釈が難しかった点がわかってきたりという新しい発見もあるかもしれません。
この仮説を設定するということは,研究の出発点として,極めて大切な作業です。なぜかというと,この研究が何を目標としてなされるのかということをはっきりさせることだからです。ただ何となく調査や観察をすれば,何かが出てくるだろうというような態度では研究として成功することは望めません。したがって,この段階で,指導教員に相談する必要が出てきます。
●6 研究計画を立てる
仮説がはっきりし,何を研究するかということが明確になってきたら,今度は,研究計画を立てる段階になります。
研究計画は,2つの部分に分かれます。1つはスケジュールです。修士論文の提出期限は決まっているわけですから,そこから逆算して,大まかなスケジュールを立てておきましょう。その内容は,研究のやり方によって違ってきますが,ほぼ以下のようなものになるでしょう。(1)方法についての検討(別項)→(2)研究対象者への依頼→(3)データ収集の実施→(4)データの分析と結果の検討→(5)修士論文の章立ての検討→(6)執筆。
それぞれ,研究に使える時間が異なるし,実際にはデータ収集に要する時間,分析のための時間がテーマによって異なりますので,自分の状況に合わせたスケジュールの設定が必要です。指導を受けるという観点からすれば,上記の(1)と(5)を合わせて研究がスタートする前に指導を受けておいた方がいいでしょう。いずれにせよ,執筆にどれだけ時間が取れるかということがキー?ポイントになりますので,早め早めにスケジュールをこなしていくということが大切です。
研究計画のもう1つの部分は,方法についての検討です。心理学における研究法の主なものとしては,調査法,実験法,検査法,観察法などがありますが,テーマに合わせて適切な方法(あるいは方法の組み合わせ)を選択する必要があります。また,対象者はどうするのか,何人くらい必要か,また,研究によっては,どのような部屋や器具が必要か,など,きちんと検討し,準備をしなければなりません。心理学は実証主義だといいましたが,それだけに集まったデータが命なのですから,この方法についての検討は,慎重にかつ具体的に行う必要があります。言い換えれば,ここまでの検討がきちんとできれば,あとは計画に従って,データを集め分析して,結果に基づいて論文を執筆するという流れをこなしていけばいいので,仮説の設定と研究計画ができた段階で,研究の60%は済んだと言ってもいいくらいです。
福祉心理学専攻のカリキュラムでは,「福祉心理学特別研究 I ? V 」(8単位)という科目が設定されており,この科目において修士論文の指導を行うことになっていますが,少なくとも3回以上指導教員の面接指導を受けることと定められています。もちろんそれ以上何回でもいいわけですが,お互いになかなか時間がとれない立場にありますから,ポイントをおさえて,有効な指導を受けるように心がけてください。また,テーマによって,あるいは研究の経過においては,指導教員以外の教員の指導が必要になることもあるかもしれません。そういう場合は,指導教員が便宜を計らう用意もできていますので,必要に応じて相談してください。
ここまで来ると,研究の全容が見えてきます。そうなると,モティベーションも上がってくるということになり,指導する側としては「一山越えた」という実感が味わえることになるわけです。ここまで来るのに,いかにコツコツと学習を積み重ねていくか,いかに上手に指導教員を活用するか,ということが決め手になることでしょう。「通信制」ということで,日常的な接触がないわけですから,見えない所での不断の努力ということが期待されます。
繰り返しになりますが,「あなたは何の研究をするの?」と誰かに聞かれた時に,簡単な表現で,はっきりと説明できるように,目標を明確にしていくというのが,ここまでの経過で最も大切なことです。はっきりしていればしているほど,研究の成功が約束されていると言っても過言ではありません。