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硬式野球部員が西日本豪雨の被災地で支援ボランティアに取り組みました

6月の大学選手権で3度目の優勝を果たした本学硬式野球部の部員11人が7月22日から24日までの3日間、西日本豪雨災害の被災地で支援ボランティアに取り組みました。

被害を受けた民家から廃棄物を運び出す
被害を受けた民家から廃棄物を運び出す
メンバーは、甚大な被害に見舞われた岡山県出身の7人をはじめ、大阪、山口など西日本出身の部員で構成され一足早く、自宅に戻りました。20日にタオルや飲料水、食料を積み込んだ車2台に分乗し、本学から駆けつけた総務部の山路哲生氏、齋藤圭吾氏と21日に合流。22日午前8時半から岡山県小田郡矢掛町のボランティアセンターを通じて作業に入りました。

矢掛町の現場は山から土砂が流れ、道をふさぎ、辺り一面を覆う凄まじさ。匂いがきつく部員はマスクをしながらスコップを手に土砂を撤去、土のうをつくっては組み立てました。翌23日と24日は倉敷市真備町で、水に浸かった民家の家財道具や畳、ゴミの運び出しと格闘しました。

連日38度の猛暑が続き、ボランティアセンターの職員から「熱中症と闘わないでください」とクギを刺されながら最大午後4時まで、30分作業をしては15分休むという繰り返しでした。

4年生マネジャーの菊地凱人(かいと)さんは「とにかく暑かった。休むといっても日陰はなく、さすがにバテました。家の人から泥にまみれた写真を捨ててと言われた時は心が痛かった」と打ち明けました。

また、1年生の椋木(むくのき)蓮さんは「高齢のおじいさんが一番働くのを見て、自分たちが助けなければと思った」と思いやりました。

引率し、一緒に汗を流した齋藤氏は「(仙台とは)日差しが違った。風もなく学生が頑張りすぎないかが心配だった」と学生の熱中症を気にかけました。

一行は本学野球部OBで岡山県浅口市にある、おかやま山陽高校の堤尚彦監督(平6社教卒)と連携を取りながら、寝袋を持ち込んで同校の一室を宿舎にしました。

3日間という限られた時間の中で、少しでも被災地に貢献したいと駆けつけた学生たち。仙台に戻ってからも「何ができるかを考えたい。あの現場を見て、そう思う」と部員同士で話しています。自然災害の脅威を目の当たりにした学生たちには貴重な体験になりました。 
「平成30年7月豪雨」と命名された今災害。台風7号が接近した7月3日以降、6?8日にかけて広島、岡山、京都、愛媛など11府県にわたり「大雨特別警報」が発表されました。野球部はこれまでにも1998年の那須?福島集中豪雨、2004年の新潟県中越地震、11年の秋田?角館の大雪被害にボランティア支援を実施しています。

犠牲になられた方々のお悔やみを申し上げますとともに、被災地の一日も早い復興を願わずにはいられません。

なお、本学ではボランティア支援課を中心に、仙台市内で街頭募金活動を実施したほか、学内4カ所に募金箱を設置しています。

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