仏教専修科
教員インタビュー(新井一光講師)「仏教認識論から法華経へ」
— 先生はインドの仏教哲学者ジュニャーナシュリーミトラの研究で駒澤大学から博士号を授与されておいでです。その後、インド仏教研究のいわば総本山であるハンブルク大学に留学されました。まずそのあたりのことについて伺いたいと思います。
新井 2004年からハンブルクで講義に出ました。シュミットハウゼン先生のご退官直前の、最後の学期に間に合いました。
— シュミットハウゼン先生の講義はいかがでしたか?
新井 講義は全部ドイツ語でしたので、行ってすぐの私には大変でした。形式としては普通の輪読です。学生が読んで、先生が解説し、そして次の学生がまた読んで、先生が解説するという形です。
— 信じられないほどの学識をお持ちの方だと伺いましたが。
新井 おっしゃるとおりです。「仏教文献全部読んだんじゃないか」という感じがするくらいです。驚異の語学力でした。
— シュミットハウゼン先生のご退官後はどなたがおいでになりましたか?
新井 その後はしばらく空席になっていたのですが、一年半か二年くらいしてハルナガ?アイザックソン先生が着任されました。それからまたしばらくしてツィンマーマン先生が来られました。
— 皆さん超大物ですね。天才たちの中で過ごしていたわけですね。
新井 末席を汚していただけです。
— ご謙遜を。ハンブルクでの体験は先生のその後のご研究にどういう影響を及ぼしていますか?
新井 ひとつは「写本を読む」ということです。それまでもジュニャーナシュリーミトラの写本だけは見ていましたが、その他の写本は見ていなかったんです。
— すると、「何か読むときにはいつも写本を見る」ということですか?
新井 基本的にそうです。「サンスクリットを読むことは写本を読むことだ」というのが、アイザックソン先生の教えでした。
— すごいですねー。
新井 「刊本から」っていうのじゃないわけです。「写本への意識の高さ」というのが、ハンブルクでひしひしと感じたことでした。
— 先生は今、インド仏教哲学の研究と並んで『正法眼蔵』の方の研究もなさっておいでですが、『正法眼蔵』も写本から読んでおいでなのですか?
新井 大久保本を基本にして研究していますが、『蒐書大成』に収録されているものは一応全部見ています。
— なるほど。やはりそういうところからしっかりやっていく必要があるんですね。
新井 写本を見ていると、欠落箇所が明らかな場合もあるんです。で、それは何でかなと考えたりします。そういうのが不注意からのミスなのか、あるいはちょっとまずい文章なんで故意に欠落させているのかといったことも考えていくわけです。
— そういった本当に基礎的なところから『正法眼蔵』の研究をしておいでの先生が本学仏教専修科においでだということは、同僚として大変誇りに思います。ところで、こうした根底からしっかりと積み上げた緻密な学問は、先生の御講義にあたってどのように活かされているのでしょう?
新井 「一語一句の意味」でしょうね。多分そこだと思います。
— 「一語一句の意味」を大切にする態度を学生に教えるということですか?
新井 そうです。
— 具体的には講義の中でそれをどういう風に指導されるのですか?
新井 まず、漢和辞典を常に引かせるということです。読めない言葉があったらかならず引いてもらって、個々の言葉の意味を明確に理解してもらうように心がけています。
— 講義では確か十二巻本『正法眼蔵』をお読みだと伺いました。
新井 今は本文ではなくて序文を読んでいます。宗務庁版の序文です。本文を読むのは多分一月に入ってからになると思います。本文から読んでもいいんですが、それでは読んでも何も残らないかもしれないと思うんです。
— その問題はどうしてもありますね。『正法眼蔵』はわれわれ教員にとっても難しすぎるものですから、学生にとってはいわば「無理ゲー」みたいなものになってしまいますよね。
新井 そうですね。
— 先生のやっておいでになった非常に緻密な文献学と実際の講義の場での「無理ゲー」との間にはかなり大きなギャップがあると思うのですが、そこをどうやって越えていくかというのは澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】な問題だと思います。
新井 難しい問題ですね。関心をもってもらうということが澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】なんですが、関心をそもそも向けてもらえないことが多い。しかし、「将来役に立つことがあるかもしれない」という気持ちでやっています。「今は難しいし、何の意味があるかもわからないけれど、将来いつかは」ということです。将来、ある時に、「そういえばこういうことを習ったな」とか、そういう形で役立てばいいなと思っています。
— 先生ご自身は、そのような体験をされたことがおありですか?
新井 何度もあります。
— たとえばどのような体験をされましたか?
新井 たとえば、私は実は当初、法華経に関心が持てなかったんです。学部生だったか、修士に入ってすぐの頃だったかと思いますが、そのころ指導教員だった松本史朗先生が法華経を読んでおられました。私はその頃インド仏教の認識論に関心があって、お経にはあまり強い興味はなかったわけなんですが、しかし最近はお経を読みたいという気持ちの方が強くなってきたんです。それで関心をもって法華経を読むようになりました。
— お経の方に関心が向くようになったのはどうしてですか?
新井 なぜかはわからないんです。
— お経の世界と論書の世界はだいぶ違いますよね。
新井 おっしゃる通りです。認識論は論証ばかりじゃないですか。それはきわめて澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】なんですが、お経とか仏伝とかいったものにより強くひかれるようになってきたんですね。そしてまたその前には松本先生のご研究があったわけです。
— 先生の方でも年齢とともに変わってきたということもあるのかもしれませんね。
新井 学生さんたちも、『正法眼蔵』を授業で読んで、「何でこれを読んでいるの」と思っているのかもしれないんですけれど、その記憶の中にうまく『眼蔵』を流し込んでいければ、将来いつかふっと意識の表面に出てくるんじゃないかなと思っているんです。
— そうあってくれるといいですね(笑)。