仏教専修科
活動記録:澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】五年度達磨忌
活動概要
学長法話
改めまして、皆様こんばんは。本日は先週に続きまして、「達磨忌」という行持でございました。達磨忌については丁寧な説明が冒頭にございましたので、そのお話の内容にお譲りするとして、いずれにしましても、この達磨様のご命日を供養申し上げるということは、禅の教えを受け継ぐ法孫として、とても大事な行持ということでございます。
今日は達磨様のお燈明が灯っております。よく高い所、つけていただきました。ややもするとうっかりして、お燈明を忘れたりするのですが、仏教専修科のみなさん、しっかりと綿密に準備されたなあと思いました。また、今日維那をつとめられました皆さんはじめ、ひとりひとり立派に、堂々とお勤めいただきました。まことに、木魚の音もよろしく、立派な行持になりました。また、学生のみなさん駆けつけていただいて、参列いただきました。こんなに心のこもった達磨様の行持になったことを、学長としてもっとも嬉しゅうございます。
さて、細かな話は授業の時に譲るとして、いずれにしましても達磨様、生没年代は色々言われており、各種の説があります。実在視することを危ぶむ声もありますが、しかし、誰か尊い方が禅の教えをお伝えになったことは間違いのないことでございまして、一説には西暦の525年くらいのお亡くなりという話もございます。いずれにせよ、五世紀の終わりから六世紀の前半にかけて活躍された方ということでよろしいかと思います。 時に梁の武帝、達磨大師に、「如何なるかこれ聖諦第一義。」磨曰く「廓然無聖。」帝曰く「朕に対する者は誰ぞ。」磨曰く「不識。」帝契わず。ついに江を渡り、少林に至りて面壁九年。
おそらくは学生の皆さんも、これから立職、首座を勤めることもあるかと思います。また、その折に「達磨廓然」、達磨様が当時の梁の武帝にお会いしたときのいきさつを記されたこのお話をテクストに使われて立職される方もいらっしゃると思います。ですから今日はその辺のお話を申し上げたいと思います。
インドから西天二十八祖と称えられる達磨様、梁の国の武帝に謁見に参りました。武帝は首を長くして聖人たる達磨様にお会いしたいと、心ときめかせて待っていたことでありましょう。そして、いよいよ会見が始まりました。「如何なるかこれ聖諦第一義」。「聖諦第一義」というのは、聖なるものの真義の一番尊いところ、ひらたく申し上げれば「仏教の教えの一番尊い大事なところを教えて下さい」と尋ねたわけです。無謀な質問と言えるでしょう。深遠な奥深い仏教の教えにおいて、簡単に「はい、これです」と教えることはなかなか難しゅうございます。さらに、達磨様にとって引っかかったのは、「聖諦第一義」、「聖なるもの、清らかなもの、尊いものの第一義は何なのか」と尋ねたところ。達磨様にとっては、「これは尊くて、これは尊くない」という差別も区別もなかったのであります。例えて言うと、人生そのものがそうですね。泣いたり笑ったり、怒ったり悔しがったり、喜んだり悲しんだり、どれも人生の大事な大事な一場面です。いつも幸せでありたいとか、いつも尊いことだけを行じたいとか、こう願っても、人間は過ちを犯すこともあるでしょうし、あるいは、見たくもない現実に直面しなければならないこともあるわけです。これらすべて人間の真実です。区別や差別をもって「これは立派」「これはもういらない」と分けることはできないという意味で、「廓然無聖」と、「カラッとしていて秋の空のようで、聖なるものなんかかけらもない」と、こう答えられるわけです。すると武帝はそれに疑問をもちます。「朕に対する者は誰ぞ。」「聖なるものはないとおっしゃいますが、あなたはインド一の聖者と言われているじゃないですか。聖人と称えられているじゃないですか。あなたは聖人ではないんですか?清らかな尊いお方ではないんですか?」と、こう尋ねたわけです。もし皆さんがこう尋ねられたらどうですか?「あなたは澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】の立派な学生なんですね」って言われた時に、「いや、立派な学生かどうかは自分では評価できない」と考えるんじゃないんですか?「あなたは聖人と言われているじゃないですか?聖者ではないんですか?」と言われて、達磨大師は「それは自分が決めることではない。自分が認識することではない」ということで、「不識」と答えられたのです。これも名言であります。「さあ、私とは一体、なにものでしょう。私にそれを訊かれても知らん」と答えられたわけです。さて、このやり取りは大変なちぐはぐなやり取りでありました。しかし、達磨大師は、そのちぐはぐなやり取りの中に真実の教えを端的に伝えたのであります。それは「廓然無聖」という四文字に凝縮されることでありましょう。
昨日、今朝、見るに堪えないニュースが、恐ろしいような事件が、戦争がこの現実の世界に起きています。目の当たりにしなければならないことも多くあります。けれども私たちは、それらを乗り越えて、強く強く生きて行かなければなりません。そのためには、生まれ落ちたこの一度きりの命を、真実の名のもとに、体全体、命いっぱいに、一日一日を精一杯生きていっていただきたい。達磨大師のメッセージを敷衍するならば、およそそのようなことになるかもしれません。しかし、残念ながら武帝はそれを理解することができませんでした。がっかりした達磨大師はそれでもインドにもどることなく、揚子江を渡り、嵩山少林寺というお寺に籠って、壁に向かって面壁九年の坐禅を続けられたといいます。これを称して「従容録」という書物には「卞和三献、未だ刑に遭うことを免れず(べんかさんこん、いまだけいにあうことをまぬかれず)」と解説しています。これはどういう意味でしょう?ここだけお話し申し上げます。
達磨大師と梁の武帝のやり取りは、あたかも「卞和三献、未だ刑に遭うことを免れず」という故事に似たやり取りであったという、従容録の言葉であります。これは、ある昔話に基づいています。昔、卞和(べんか)という人がおりました。その方は、中国の奥地の小さな小さな貧しい国のお役人だったそうです。卞和は真面目な、今で言えば国家公務員であったということになります。この山奥の貧しい国を何とか豊かな立派な国にしたいと考えていました。ある時、卞和の家の裏山から、金剛石の原石が見つかりました。金剛石とはダイヤモンドのことです。卞和は思いました。「このダイヤモンドの鉱脈があるならば、これを掘り起こして国を豊かにできる」と、当時の王様、武王にそれを献上し、「どうかこれを国家財政にお役立て下さい」と申し上げたのであります。ところが、武王はそれを見抜くことができませんでした。「何だこれは、ただの石ころではないか。お前はいいものを持ってくると言ったのに、ただの石ころを持ってくるとは何だ。そこらに転がっているものとおなじじゃないか」と、その石を投げ捨てると、あろうことか卞和は、「世を惑わした」とのことで、左の足首を切り落とされてしまいました。それでも卞和は、誤解にもめげず、いつか国を豊かにしたいと願っていました。やがて、横暴な武王が下り、次の霊王という王様の時代になりました。「今度の王様こそ、わかってくれるに違いない。」金剛石の原石をもち、そして足をひきずりながら、霊王のもとに馳せ参じてまた献上いたしました。ところが、この霊王もこれを見抜くことができなかったのであります。「何だこれは。ただの石ではないか。そういえばお前は昔、王様にただの石を宝石だと言って惑わしたという罪を負ったと聞いている。一度ならず二度までもか」と立腹した霊王は、今度は反対側の足首を切り落としました。普通ならば普通ならばここでめげるところ。ところが、「真実は絶対に正しい。世の中のために役立つことは絶対に正しいことなのだ」と信じていた卞和は、時を待ちました。すると、次に即位したのは、文王という大変立派な知性あふれる王様でありました。今度疑われたら命がないことを覚悟で、三度の献上を致すのであります。すると、やはり誉れ高き文王は、今までの王様とは違いました。「これはどう見てもただの石に見えるが、宝石というのは磨いてみなければわからない。よし、研磨工を呼びなさい」ということで、其の原石は見事に文王のもとで磨かれて、大きな宝石になったといいます。そして鉱脈が見つかり、その小さな山国の貧しい国家財政が、卞和の命を顧みない三度の献上のおかげで国が豊かになったということであります。これが「卞和三献、未だ刑に遭うことを免れず」という言葉の解説で、『従容禄』において達磨大師のやり取りを解説しているのです。
最後にお話をまとめます。真実の「廓然無聖」というダイヤモンドの宝石にも似た仏教の真髄を見せたにもかかわらず、武帝はそれを見抜くことができませんでした。三度献上した卞和も、涙を流して悔しがることであろうと、ある意味で皮肉を言っているわけであります。世の中は真実で囲まれています。自らの一日の命、一生の命を歩む上で、大切なものがこの身の回りにあふれています。それはあたかも宝石の原石のように、尊いながらも、うかつに見ていると見過ごしてしまうかもしれません。達磨忌を機に、どうぞ日々の生活底に皆さんにとって大事な宝物を、金剛石を見つけていただきたいと存じます。以上であります。