学長法話:澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】六年度成道会
2024年12月3日に行われた、澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】六年度成道会法要の際の学長法話です。
皆様こんばんは。本日は、澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】成道会のご法要のご随喜とご協力を賜り誠にご苦労様でございました。特に本日は、長野県から大英寺ご住職高野ご老師様、そして奥様にもご参列とご随喜を賜りまして、この場を借りて感謝申し上げます。本日はご焼香まことにありがとうございました。
個人的なことを申し上げますと、以前から、曹洞宗の全国の婦人会の会長をお務めになっている高野様の奥様には大変お世話になっておりまして、今日はわざわざ信州からお越し下さり、三仏忌の大変澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】な行持にご一緒いただけたということは、まことにありがたいご法縁でございます。そして学生の諸君も、大変立派にお勤めいただきまして、また、大学院の学生さんたちにもご随喜いただいて、後輩のみなさんのためにそのお姿を見せていただいたこともありがたいことでございました。
さて、時は「歳月人を待たず」との言葉のとおり、早いものでございます。師走になり、そして連日、ここにご出席のみなさんを中心に接心会が行われて参りました。大変お疲れさまでした。 遥か遥か時代は遠く、紀元前五世紀、釈迦様が、坐禅のお姿でお悟りを開かれ、その縁(えにし)のお話は、冒頭に法要解説の新井一光先生からお示しいただいた通りでございます。 毎年、この接心会の時期になると思い出す、あるエピソードがございます。それはまだ私が大学院時代のことでした。私の恩師の奈良康明先生に鞄持ちでご一緒いたしまして、インドの仏跡を随分長い月日をかけて巡ったことがございました。確か、ラージャグリハのホテルに泊まった時の朝のことです。牛乳の白いお粥が出て参りました。私は何気なく普通に「ああ、ここではお粥が出るんだなあ」と思いながら、それをいただいておりますと、にこにこしながら、私の恩師の奈良先生が「千葉君、この味をどう思うかね」と言われました。「おいしゅうございます」こう答えました。「それだけかね。これで何か気づくことはないのかね」とこう言われて、「お粥は日本だけでなくここでもいただけるんですね」というようなことを確か言ったと思います。すると、奈良先生は「君は何を勉強してきたのか!これはスジャーターさんがお釈迦様に差し出したミルク粥、パヤサというものだよ。君はそんなことも知らずに、仏教を勉強しているのかね」と言って、真顔で私を、あの円らな瞳で私の顔を覗き込んだのでございます。「これはしまった。そういえばパヤサという牛乳粥はこういうものだったのだ」と、恥ずかしい思いをしました。すると、その一見厳しく私の顔を覗いていた奈良先生が、今度はニコッとして、「ハッハッハ」と笑われたんですね。「言ったぞ言ったぞ!実はね、自分が学生時代、中村元先生の鞄持ちをしてここに来た時に、『君はこのお粥の味がわかるか』って言われて、答えられなかったんだよ。だから自分が歳をとって誰か一緒に来る学生がいたときに、同じことを言ってやろうと思っていたんだ」と、こういう「江戸の仇を長崎でとった」ではありませんが、「してやったり」の笑顔で笑っていただいたことがございます。 パヤサは誰でも簡単に作れます。それは、牛乳でお粥を炊くのですが、牛乳から炊き上げると生米はなかなか炊き上げるのは難しゅうございます。ですからどうぞ、学生の皆さん試してください。冷ごはんで結構です。冷ごはんをフライパンに入れて、そして牛乳をなみなみ注いで、そしてトロトロと二、三十分弱火で煎じて下さい。「なんちゃって」かもしれませんが、お粥のような形になります。スジャーターさんの場合は、ウルヴェーラー村の五百頭の牛を厳選して、そこから絞った乳をさらに二百五十頭に飲ませ、それをさらに絞りと繰り返し、極上の熟成バターのような形でお粥を炊き上げたということですから、比べ物にならないほど手間暇がかかるのですが、今日、簡単にご飯に牛乳で煮詰めていただき、そして場合によってはそこにバターを入れていただくといいでしょう。ほぼパヤサとなり、スジャーターさんがお釈迦様に差し上げたそのお粥の味に近くなります。仕上げに塩と胡椒で味を調え、それを器に入れて、ハーブミントみたいなものをのせると、見栄えも味もよろしくなるでしょう。一度ご自宅で試してみて下さい。それが、お釈迦様が召し上がられた二千五百年前の味であります。
冒頭、新井一光先生のお話にありましたように、そこでお釈迦様はお悟りを開かれたとき、「縁起」というものを悟られたということでございます。今日は時間も限りございますので、当時のご様子を物語にした原始仏典を口語訳である友松諦道先生の『おしゃかさまものがたり』から、その時のようすを申し上げたいと存じます。どうぞ、当時を偲びながら耳を拝借したいと存じます。「暁のめざめ」の一巻です。(教材:『月刊仏教保育カリキュラム』2002、10月、11月pp.26-27、仏教保育協会刊)
川の水で沐浴をいたされ、すがすがしい心になった太子は、木の枝にすがりついてやっと岸に這い上がりましたが、もう歩くこともできません。やっとのことでニグローダの樹の下に這いよって大きな幹によりかかって休んでいらっしゃいました。そこへやってきたのはウルヴェーラー村のスジャーターという、村長の娘さんでした。スジャーターは、この大きなニグローダの樹の上には樹の神様が住んでいらっしゃると、そう信じて、毎朝牛乳で炊いたお粥を捧げていたのです。スジャーターは、ニグローダの樹の下に坐っていられる太子の姿を見てびっくりしましたが、見れば立派なお顔立ちのお坊様です。それに、痛々しいほどやせ衰えていらっしゃいました。スジャーターは思わず膝をついてお粥を捧げました。太子は思いがけない捧げものに驚きながらも、大変喜ばれて、お受け取りになりました。「あなたの名は?」「はい、スジャーターと申します。」「スジャーター、『良き生まれ』という意味だね。いい名前をお持ちだ。」太子はゆっくりとお粥を召し上がりました。力が身体中に沸き起こってくるようでした。召し上がった後、太子は微笑んで、容れ物を返されます。スジャーターはうれしそうにその容れ物を受け取りました。そして両手を合わせて、太子を拝んでから、小走りに村の方へと帰って行きました。このありさまを、五人の家来たちは木陰からじっと見ていました。「けしからん。太子は村の娘からお粥をもらって食べているではないか。」「ああ、本当だ。この断食の最中に。太子が仏になったら弟子にしてもらおうとまで思っていたのだが、もう太子は駄目だ。仏になんかなれっこない。われわれは太子を捨てて、自分たちだけで修行を続けようではないか。」こう口々に言い合って、五人は森の奥へと消えていきました。 太子はひとりぼっちになりました。しかし、別に寂しいとも悔しいとも思いませんでした。「世の中の人々を救うのに役立つ智慧は、ひとりで色々修行を積み、勉強を重ねた上ではじめて得られるものであろう」と、知っていたのです。太子は牛乳のおかげでそのお身体が元気になりましたので、坐って色々なことを考えるのに、さらに都合のよい場所を探しに、さらに森の中へと入っていきました。一本の大きなピッパラという樹を見つけられました。後に「菩提樹」と名づけられる樹です。森の王様のように大きな枝を広げた大木です。太子はすっかり気に入って坐ろうとすると、ちょうどひとりの草刈り男が通りかかり、干し草を一抱え捧げてくれました。太子はその干し草を敷くと、東に向いてどっしりと山のように坐りました。
「今度こそは、体がひからびて死んでしまっても、世の中の人々に役立つ智慧を得ないうちは、この樹の下から起つことはないぞ」と、覚悟されました。眼を半分瞑って心を落ち着けました。一日二日と経っていくうちに、太子の心はちょうど大嵐のあとで空の黒い雲がなくなっていって青空が出てくるようにぐんぐん大きく明るく、澄み切っていきました。「人間はどうやって生きていくべきか。世の中はどのように出来上がっているのか。人間はどのような気持ちで暮らしていくことが大事なのか」こういったことがはっきりとわかり始めたのです。目の前には悠々と、ネーランジャラー河の水が流れています。そしてその向こう、広がっている緑の野原のそのはるか向こうに、少しずつ太陽が昇ってきました。暁の星や夕べの星が輝いたり、一面真っ暗な空に砂をこぼしたような銀の星々の群れがきらめいていましたが、太子はじっと大空や野原の移り変わりを見つめていました。そのうちに、天地の動きや人々の心の動きが手に取るようにわかり始めたのです。
こうしてちょうど七日目の十二月の八日、その夜明けが訪れました。真っ暗な空に輝いていた銀の砂のような星々が、次々に消えていきます。そして、薄桃色に明るくなり始めた東の空に、暁の明星がきらきらと瞬いている頃、太子の心の中に残っていた黒い幕のようなものがぐんぐん消えてなくなって、心がさーっと明るく大きく澄み切ったのでした。その時です。地平線の向こうから暁の太陽が昇り始めます。天も地も真っ赤に光り輝いています。太子の心も、天地と同じように明るく真っ赤に光り始めます。心と天地とが、ひとつに融け合ったような気持ちでした。大きな明るい天地の中に、抱かれているような気にもなって、また、大きな明るい天地を抱きかかえているようなすばらしい喜びに満ちた瞬間でした。「おお、目覚めた天地よ、目覚めた私の心よ、これこそ本当の世界なのだ。私は今、仏となったのだ。」太陽はぐんぐん昇ります。川も野原も森も畑も、厳かな光の中できらめいています。天も地も深い眠りの中から目覚めて身震いしているかのようです。夜明けです。世界の夜明けです。そして、太子の心の夜明けもまた、この時に訪れてきたのでした。
以上、成道会にちなんでの、お釈迦様物語の朗読でありました。
個人的なことを申し上げますと、以前から、曹洞宗の全国の婦人会の会長をお務めになっている高野様の奥様には大変お世話になっておりまして、今日はわざわざ信州からお越し下さり、三仏忌の大変澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】な行持にご一緒いただけたということは、まことにありがたいご法縁でございます。そして学生の諸君も、大変立派にお勤めいただきまして、また、大学院の学生さんたちにもご随喜いただいて、後輩のみなさんのためにそのお姿を見せていただいたこともありがたいことでございました。
さて、時は「歳月人を待たず」との言葉のとおり、早いものでございます。師走になり、そして連日、ここにご出席のみなさんを中心に接心会が行われて参りました。大変お疲れさまでした。 遥か遥か時代は遠く、紀元前五世紀、釈迦様が、坐禅のお姿でお悟りを開かれ、その縁(えにし)のお話は、冒頭に法要解説の新井一光先生からお示しいただいた通りでございます。 毎年、この接心会の時期になると思い出す、あるエピソードがございます。それはまだ私が大学院時代のことでした。私の恩師の奈良康明先生に鞄持ちでご一緒いたしまして、インドの仏跡を随分長い月日をかけて巡ったことがございました。確か、ラージャグリハのホテルに泊まった時の朝のことです。牛乳の白いお粥が出て参りました。私は何気なく普通に「ああ、ここではお粥が出るんだなあ」と思いながら、それをいただいておりますと、にこにこしながら、私の恩師の奈良先生が「千葉君、この味をどう思うかね」と言われました。「おいしゅうございます」こう答えました。「それだけかね。これで何か気づくことはないのかね」とこう言われて、「お粥は日本だけでなくここでもいただけるんですね」というようなことを確か言ったと思います。すると、奈良先生は「君は何を勉強してきたのか!これはスジャーターさんがお釈迦様に差し出したミルク粥、パヤサというものだよ。君はそんなことも知らずに、仏教を勉強しているのかね」と言って、真顔で私を、あの円らな瞳で私の顔を覗き込んだのでございます。「これはしまった。そういえばパヤサという牛乳粥はこういうものだったのだ」と、恥ずかしい思いをしました。すると、その一見厳しく私の顔を覗いていた奈良先生が、今度はニコッとして、「ハッハッハ」と笑われたんですね。「言ったぞ言ったぞ!実はね、自分が学生時代、中村元先生の鞄持ちをしてここに来た時に、『君はこのお粥の味がわかるか』って言われて、答えられなかったんだよ。だから自分が歳をとって誰か一緒に来る学生がいたときに、同じことを言ってやろうと思っていたんだ」と、こういう「江戸の仇を長崎でとった」ではありませんが、「してやったり」の笑顔で笑っていただいたことがございます。 パヤサは誰でも簡単に作れます。それは、牛乳でお粥を炊くのですが、牛乳から炊き上げると生米はなかなか炊き上げるのは難しゅうございます。ですからどうぞ、学生の皆さん試してください。冷ごはんで結構です。冷ごはんをフライパンに入れて、そして牛乳をなみなみ注いで、そしてトロトロと二、三十分弱火で煎じて下さい。「なんちゃって」かもしれませんが、お粥のような形になります。スジャーターさんの場合は、ウルヴェーラー村の五百頭の牛を厳選して、そこから絞った乳をさらに二百五十頭に飲ませ、それをさらに絞りと繰り返し、極上の熟成バターのような形でお粥を炊き上げたということですから、比べ物にならないほど手間暇がかかるのですが、今日、簡単にご飯に牛乳で煮詰めていただき、そして場合によってはそこにバターを入れていただくといいでしょう。ほぼパヤサとなり、スジャーターさんがお釈迦様に差し上げたそのお粥の味に近くなります。仕上げに塩と胡椒で味を調え、それを器に入れて、ハーブミントみたいなものをのせると、見栄えも味もよろしくなるでしょう。一度ご自宅で試してみて下さい。それが、お釈迦様が召し上がられた二千五百年前の味であります。
冒頭、新井一光先生のお話にありましたように、そこでお釈迦様はお悟りを開かれたとき、「縁起」というものを悟られたということでございます。今日は時間も限りございますので、当時のご様子を物語にした原始仏典を口語訳である友松諦道先生の『おしゃかさまものがたり』から、その時のようすを申し上げたいと存じます。どうぞ、当時を偲びながら耳を拝借したいと存じます。「暁のめざめ」の一巻です。(教材:『月刊仏教保育カリキュラム』2002、10月、11月pp.26-27、仏教保育協会刊)
川の水で沐浴をいたされ、すがすがしい心になった太子は、木の枝にすがりついてやっと岸に這い上がりましたが、もう歩くこともできません。やっとのことでニグローダの樹の下に這いよって大きな幹によりかかって休んでいらっしゃいました。そこへやってきたのはウルヴェーラー村のスジャーターという、村長の娘さんでした。スジャーターは、この大きなニグローダの樹の上には樹の神様が住んでいらっしゃると、そう信じて、毎朝牛乳で炊いたお粥を捧げていたのです。スジャーターは、ニグローダの樹の下に坐っていられる太子の姿を見てびっくりしましたが、見れば立派なお顔立ちのお坊様です。それに、痛々しいほどやせ衰えていらっしゃいました。スジャーターは思わず膝をついてお粥を捧げました。太子は思いがけない捧げものに驚きながらも、大変喜ばれて、お受け取りになりました。「あなたの名は?」「はい、スジャーターと申します。」「スジャーター、『良き生まれ』という意味だね。いい名前をお持ちだ。」太子はゆっくりとお粥を召し上がりました。力が身体中に沸き起こってくるようでした。召し上がった後、太子は微笑んで、容れ物を返されます。スジャーターはうれしそうにその容れ物を受け取りました。そして両手を合わせて、太子を拝んでから、小走りに村の方へと帰って行きました。このありさまを、五人の家来たちは木陰からじっと見ていました。「けしからん。太子は村の娘からお粥をもらって食べているではないか。」「ああ、本当だ。この断食の最中に。太子が仏になったら弟子にしてもらおうとまで思っていたのだが、もう太子は駄目だ。仏になんかなれっこない。われわれは太子を捨てて、自分たちだけで修行を続けようではないか。」こう口々に言い合って、五人は森の奥へと消えていきました。 太子はひとりぼっちになりました。しかし、別に寂しいとも悔しいとも思いませんでした。「世の中の人々を救うのに役立つ智慧は、ひとりで色々修行を積み、勉強を重ねた上ではじめて得られるものであろう」と、知っていたのです。太子は牛乳のおかげでそのお身体が元気になりましたので、坐って色々なことを考えるのに、さらに都合のよい場所を探しに、さらに森の中へと入っていきました。一本の大きなピッパラという樹を見つけられました。後に「菩提樹」と名づけられる樹です。森の王様のように大きな枝を広げた大木です。太子はすっかり気に入って坐ろうとすると、ちょうどひとりの草刈り男が通りかかり、干し草を一抱え捧げてくれました。太子はその干し草を敷くと、東に向いてどっしりと山のように坐りました。
「今度こそは、体がひからびて死んでしまっても、世の中の人々に役立つ智慧を得ないうちは、この樹の下から起つことはないぞ」と、覚悟されました。眼を半分瞑って心を落ち着けました。一日二日と経っていくうちに、太子の心はちょうど大嵐のあとで空の黒い雲がなくなっていって青空が出てくるようにぐんぐん大きく明るく、澄み切っていきました。「人間はどうやって生きていくべきか。世の中はどのように出来上がっているのか。人間はどのような気持ちで暮らしていくことが大事なのか」こういったことがはっきりとわかり始めたのです。目の前には悠々と、ネーランジャラー河の水が流れています。そしてその向こう、広がっている緑の野原のそのはるか向こうに、少しずつ太陽が昇ってきました。暁の星や夕べの星が輝いたり、一面真っ暗な空に砂をこぼしたような銀の星々の群れがきらめいていましたが、太子はじっと大空や野原の移り変わりを見つめていました。そのうちに、天地の動きや人々の心の動きが手に取るようにわかり始めたのです。
こうしてちょうど七日目の十二月の八日、その夜明けが訪れました。真っ暗な空に輝いていた銀の砂のような星々が、次々に消えていきます。そして、薄桃色に明るくなり始めた東の空に、暁の明星がきらきらと瞬いている頃、太子の心の中に残っていた黒い幕のようなものがぐんぐん消えてなくなって、心がさーっと明るく大きく澄み切ったのでした。その時です。地平線の向こうから暁の太陽が昇り始めます。天も地も真っ赤に光り輝いています。太子の心も、天地と同じように明るく真っ赤に光り始めます。心と天地とが、ひとつに融け合ったような気持ちでした。大きな明るい天地の中に、抱かれているような気にもなって、また、大きな明るい天地を抱きかかえているようなすばらしい喜びに満ちた瞬間でした。「おお、目覚めた天地よ、目覚めた私の心よ、これこそ本当の世界なのだ。私は今、仏となったのだ。」太陽はぐんぐん昇ります。川も野原も森も畑も、厳かな光の中できらめいています。天も地も深い眠りの中から目覚めて身震いしているかのようです。夜明けです。世界の夜明けです。そして、太子の心の夜明けもまた、この時に訪れてきたのでした。
以上、成道会にちなんでの、お釈迦様物語の朗読でありました。
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